梶原大暉(かじわら だいき)選手は、東京パラリンピック・バドミントンで初の金メダルを獲得し、2024年パリ五輪パラリンピックでも日本代表としてメダルが期待されている選手です。
そんな梶原大暉選手の背後には、人生を一変させたある出来事が隠されています。
それは、梶原大暉選手を障害者に追い込んだ一つの事故です。
一体、彼に何が起こったのでしょうか?事故の原因は何だったのでしょうか?
野球に打ち込んでいた少年時代、将来を期待されていた梶原大暉選手に突然降りかかった運命のいたずら。それは彼の夢を奪い、しかし同時に新たな道を切り開くことになったのです。
この記事では、
- 梶原大暉選手の障害となった事故の原因
- 梶原大暉選のプロフィールと生い立ち
- 梶原大暉選手のバドミントンの経歴
障害を乗り越えてパラリンピアンとして輝くまでのストーリーを詳しくお伝えします。
\備えあれば患いなし!もしもの時に水は必要!/
梶原大暉は事故が原因で障害になった?
パラリンピック・バドミントン日本代表の梶原大暉(かじわらだいき)選手ですが、
2015年、中学2年生だった13歳の時に、自転車で交通事故に遭いました。
その交通事故が起きたのは、野球の試合の前日で、自転車で練習に向かう際、トラックとの交通事故でした。
事故当時は意識はありましたが、右足切断後は1か月意識不明の状態が続き、左足にも麻痺が残ってしまいました。
交通事故によって足を切断しなければならなかったということは、その交通事故による怪我が死に直結していたということです。
命が危険にさらされた大きな交通事故だったことがうかがえますね。
梶原大暉は事故前まで野球少年だった!
【始球式】
— パ・リーグ.com / パーソル パ・リーグTV【公式】 (@PacificleagueTV) October 8, 2022
パラバドミントン選手の #梶原大暉 さんが登場‼#パーソルCSパ#sbhawks @HAWKS_official#seibulions @lions_official pic.twitter.com/BCJhxF8TZ0
小学3年時から地元の少年野球チーム「筑紫丘ファイターズ」で野球を始め、毎日のようにグラウンドで汗を流していました。
将来はプロ野球選手になることを夢見て、仲間と共にひたむきに練習に励み、その才能は早くから頭角を現します。
中学では軟式で全国大会の出場経験もある強豪「福岡ベースボールクラブ」で投手として活躍。
梶原大暉選手のポジションは主にピッチャーで、チームのエースとして周囲からの信頼も厚かったといいます。地域の大会では優勝を重ね、周囲からは「次世代のスター選手」として期待されていました。
家族も彼の夢を応援しており、週末の試合では両親が声援を送る姿が見られました。
梶原選手にとって、野球はただのスポーツではなく、人生の一部であり、未来そのものでした。
甲子園に出るのが夢だったそうです。
しかし、2015年、13歳の時、そんな彼の夢を断ち切るように、ある日、突然の事故が彼を襲います。
梶原大暉選手がどれだけ野球に情熱を注いでいたかを知ると、その後の彼がどれほど苦しみ、そして強くなったかがよくわかりますね。
事故によって野球から遠ざけられた梶原大暉選手は、絶望の中で新たな道を模索することになります。
\そろそろ出番!秋の行楽や運動会コーデにも!/
梶原大暉のプロフィールと生い立ち
- 梶原大暉(かじわら だいき)
- 生年月日/2001年11月13日(2024年8月現在22歳)
- 出身地/福岡県
- 種目/パラバドミントン
- 競技開始年齢/15歳
- 所属/
- 日本体育大学(2020-2024)
- ダイハツ工業(2024-)
ともに・共生社会へ:「助けてもらうだけではいけない」 車いすバド・梶原大暉選手の思い https://t.co/QQcPHisyKF pic.twitter.com/YRsnzKcS8T
— 毎朝新聞 電子版 🦅 (@maicho_jp) August 23, 2024
小学3年時から「筑紫丘ファイターズ」で野球を始め、中学では全国大会の出場経験もある強豪「福岡ベースボールクラブ」で投手として活躍。
2015年、13歳の時に練習に向かう途中で自転車で交通事故に遭い、右足のひざから下を失い、左脚にもまひが残ります。
その後、日本体育大学へと進学し、パラスポーツにも協力的で理解があり、教員養成において定評のある児童スポーツ教育学部で文武両道を実践。
大学卒業後、現在はダイハツ工業に所属し、パラバドミントン選手として活躍しています。
梶原大暉のバドミントン経歴がすごい!
高校入学後、15歳の時からバドミントンを始めた梶原大暉選手。
しかも!シングルスで金メダル、ダブルスでも銅メダルと、凄い活躍を見せました!
《主な競技成績》
- 2019年、東京パラリンピック代表選考レースで急成長し、同年の国際大会で初優勝を果たす!
- 2021年、東京パラリンピック初出場!
- 2021東京パラリンピック、男子シングルスWH2で金メダルを獲得!
- 同じく東京パラリンピック、男子ダブルスWH1-WH2で村山浩選手と共に戦い銅メダルを獲得!
- 2021年、令和3年度 福岡市スポーツ栄誉賞、福岡県民スポーツ栄誉賞、紫綬褒章受章
- 2022年、世界選手権の男子シングルスWH2で優勝
- 2023年、男子シングルスWH2世界ランキング1位、ペアを組む男子ダブルスWH1-WH2も世界ランキング1位に到達
- 2024年、世界選手権の男子シングルスWH2で優勝
- 2024年、3月15日、日本体育大学卒業式・学位記授与式にて、理事長賞を受賞
#報ステ でパラバドミントンの #梶原大暉 選手の特集
— ぱすきち (@ldQxyTmdDwRFiOv) August 19, 2024
121連勝…!!
いつか生観戦したい選手の一人。
きっとパリでも連勝記録を更新するに違いない! pic.twitter.com/JLF73D6cUf
梶原大暉選手、連勝中です!
元々、野球選手として強豪校で活躍していた梶原大暉選手。
選手としての強みは、野球の投手としての経験を生かした、強肩を使ったショットの強さと素早いチェアワークによる後方への守備範囲の広さです。
パリのパラリンピックでも、ぜひメダルを獲得してほしいですね!
梶原大暉の事故の原因・プロフィールまとめ
以上、梶原大暉選手の事故の原因やプロフィール、生い立ち、バドミントンでの経歴についてご紹介しました。
- 梶原大暉の障害の原因は交通事故
- 梶原大暉選手は、元野球少年で、強豪チームに所属していた
- 梶原大暉選手は、2024年8月現在、22歳でダイハツ工業所属
- 梶原大暉選手は、東京パラリンピックでシングルス金メダル、ダブルス銅メダルを獲得
事故で足を切断、という大きな試練を乗り越え、野球少年からパラリンピック・バドミントン選手へと華麗に転身した梶原大暉選手。
梶原大暉選手からは、困難に立ち向かう勇気と、どんな状況でも諦めない精神力の大切さを教えられますね。
今後の活躍からも目が離せません!
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